東葉線情報局
【特別特集】1000形11F・12F

はじめに


東葉線では、開業にあわせた車両計画として、営団地下鉄(現東京メトロ)にて廃車となった5000系を12編成譲受した。そのうち10編成は、メトロ車両による大幅な改造工事を経て、1000形として再デビューした。残る2編成は、将来の増発を見越した予備車として、種車のまま譲渡され、緑が丘車庫に留置された。その後、計画変更により改造工事は中止され、保留車として専ら部品取りのために供用された。そのため、ほぼ5000系非冷房車の形態を保っていた。この2編成が1000形の第11編成(以下、11Fと表記)および第12編成(以下、12Fと表記)である。緑が丘車庫での長らくの留置を経て色褪せた11F・12Fは、ついに1000形として営業運転に就くことはなかった。2005年春、廃車。そして、全車解体処分となった。11F・12Fの緑が丘車庫での記録の総集編として、特別特集をお送りします。

1000形11F
種車は5000系73F。全てがステンレス車で、3次車と5次車で編成が組まれている。戸袋窓は全てなく、3次車は5000系時代に改修工事にて廃止されており、5次車は製造時からない。全てが3次車以降のため、側窓の外枠は角のあるタイプ。また、全てが非冷房車のため、屋根上にはベンチレーターが残っていた。1000形となってからの改造はほとんど施されておらず、1110のみ前面のラインカラーが一部変更されており、1110の車両番号が直接記され、東葉の社章がシールで記されていた。ほかに変化は見当たらず、先頭車の屋根上にはJR用の列車無線アンテナも残置されていた。車体側面の車両番号および営団の団章(Sマーク)のプレートは全て外されていた。先頭車前面では、車両番号プレートは全て外されていたが、Sマークプレートは1111に廃車まで残置していた。行き先表示器の字幕は、晩年には1110では外されていたが、1111では廃車まで残置していた。2005年4月に廃車となった様子で、5月には3次車のアスベスト撤去工事を経て、全て解体処分された。

編成表(1000形11F)
青字は制御車、桃字は制御電動車、赤字は電動車、黒字は付随車を示す。
◇はパンタクラフ。
黄字は元5000系3次車、橙字は元5000系5次車。
太字は戸袋窓なし。
下線なしは側窓外枠角タイプ。
←中野 東葉勝田台→
[1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000]
1110 1119 1118 1117 1116 1115 1114 1113 1112 1111

種車編成表(5000系73F)
青字は制御車、桃字は制御電動車、赤字は電動車、黒字は付随車を示す。
◇はパンタクラフ。
黄字は3次車、橙字は5次車。
太字は戸袋窓なし。
下線なしは側窓外枠角タイプ。
写真はイメージで、5000系58Fのもの。
←中野 東葉勝田台→
[5000 5200 5600 5200 5900 5100 5200 5600 5200 5800]
5023 5269 5646 5268 5912 5112 5346 5645 5267 5823

1997年
1997年10月
この頃は西側の留置線の一番奥側(34番線)に留置されていた。部品もまだあまり外されておらず、1110の前面幕も残っている。行き先表示は試運転、運番表示は05K。

2004年
2004年10月
7年の時が経ち、12Fと留置場所が入れ換わり、西側の留置線の手前側(14番線)に移っていた。色褪せが進行し、1110の前面幕が撤去され、前面貫通扉にも変化が。運番表示は90K。
2004年10月
車端部にはシルバーシートの表示が残っている。そして、屋根上にはベンチレーターが並ぶ。一方下回りでは、一部が仮台車となっていた。
2004年12月
そして2か月後。変化は見られない。

2005年
2005年1月
さらに1か月後の1111側。こちらは5000系のままの形態。Sマークや前面幕も残っており、73の編成番号も確認できる。行き先表示は懐かしい荻窪、運番表示は09K。
2005年4月
さらに3か月後、ついに動きがあった。奥では廃車となった12Fがアスベスト撤去工事を行っている。11Fも廃車となった様子で、1111の前面幕が撤去されていた。
2005年5月
5月、新鋭2000系03Fと並ぶ場面もみられた。
2005年5月
さらに数日後、大きな動きが。先日まで12Fが留置されていた西側の留置線の一番奥側(34番線)に移動され、編成が組み換えられていた。写真左から1116・1115・1114・1113・1112・1111と、対面して1110・1119・1118・1117の順で留置されていた。
2005年5月
右上の写真の右奥(北側)、1117側からの様子。1117〜1110と、対面して1111〜1113の7両は3次車。3次車は、解体前にアスベスト撤去工事の必要があった。そのため、作業上の都合で編成が組み替えられ、3次車を北側に集めて留置したと思われる。3次車はアスベスト撤去工事に先立ち、化粧板、網棚、つり革、座席などが撤去されていた。一方、アスベストを使用していない5次車の1114〜1116は右上の写真の左側(南側)に集めて留置されていた。
2005年5月
編成の中間では、1110(左)と1111(右)が最初で最後の対面。
2005年5月
右上の写真の反対側から、1111(左)と1110(右)。
2005年5月
2つ上の写真の左側(南側)、1116側からの様子。5次車の1116〜1114は、内装の撤去もされていなかった。
2005年5月
1116の車内。5次車の原形をとどめている。つり革が旧型の三角形のままである。長年の留置で、座席には大量のホコリがかぶっている。年代物の広告が、そのまま日焼けして吊り下がっていた。
2005年5月
ドアの窓にはこちらも年代物のシールが。「営団地下鉄では平成2年度から5年計画で全駅に(自動改札を)設置いたします。」と懐かしい表記。
2005年5月
当時現存の5000系と同じ台車。
2005年5月
こちらは仮台車。
2005年5月
当時現存の5000系と同じパンタグラフ。
錆びており、すり板は撤去されている。
2005年5月
当時現存の5000系にはないベンチレーター。

1000形12F
種車は5000系94F。全てがステンレス車で、4次車と5次車で編成が組まれている。戸袋窓は1126を除いて全て残置。5次車の1126は製造時からない。全てが4次車以降のため、側窓の外枠は角のあるタイプ。また、全てが非冷房車のため、屋根上にはベンチレーターが残っていた。11Fと同様、1000形となってからの改造はほとんど施されておらず、1120のみ前面のラインカラーが一部変更されており、1120の車両番号が直接記され、東葉の社章がシールで記されていた。社章のみは1121でも同様に記されていた。ほかに変化は見当たらず、先頭車の屋根上にはJR用の列車無線アンテナも残置されていた。車体側面の車両番号および営団の団章(Sマーク)のプレートは全て外されていた。先頭車前面では、車両番号プレートは1121に廃車まで残置していたが、Sマークプレートは早い時期に全て外されていた。行き先表示器の字幕は、全て廃車まで残置していた。こちらも2005年4月に廃車となった様子で、5月には4次車のアスベスト撤去工事を経て、全て解体処分された。

編成表(1000形12F)
青字は制御車、桃字は制御電動車、赤字は電動車、黒字は付随車を示す。
◇はパンタクラフ。
茶字は元5000系4次車、橙字は元5000系5次車。
太字は戸袋窓なし。
下線なしは側窓外枠角タイプ。
←中野 東葉勝田台→
[1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000 1000]
1120 1129 1128 1127 1126 1125 1124 1123 1122 1121

種車編成表(5000系94F)
青字は制御車、桃字は制御電動車、赤字は電動車、黒字は付随車を示す。
◇はパンタクラフ。
茶字は4次車、橙字は5次車。
太字は戸袋窓なし。
下線なしは側窓外枠角タイプ。
写真はイメージで、5000系58Fのもの。
←中野 東葉勝田台→
[5000 5200 5600 5200 5900 5600 5200 5600 5200 5800]
5044 5330 5660 5289 5920 5662 5292 5682 5320 5844

1997年
1997年10月
この頃は西側の留置線の手前側(14番線)に留置されていた。部品もまだあまり外されておらず、1120のSマークも残っている。行き先表示は懐かしい荻窪、運番表示は99S。

2000年
2000年5月
約3年後、隋修庫前(33番線)に移動していた。11Fとの留置場所の入れ換えの最中だったと思われる。1120のSマークは撤去され、東葉の社章がシールで記されている。行き先表示は九段下、運番表示は38K。

2004年
2004年10月
さらに4年後、11Fと場所が入れ換わり、西側の留置線の一番奥側(34番線)に移っていた。色褪せが進行したものの、大きな変化は見られない。行き先表示は津田沼、運番表示は22。
2004年12月
そして2か月後。行き先表示が三鷹になっていた。
2004年12月
1121側。こちらは5000系のままの形態。Sマークや前面幕、前面車番プレートも残っており、94の編成番号も確認できる。行き先表示は回送、運番表示はズレている。

2005年
2005年2月
さらに2か月後、5000系と並ぶ場面もみられた。
2005年4月
さらに2か月後、11Fに先立って廃車の動きがあった。12Fは5次車である1126を除き、アスベストを使用している。解体前のアスベスト撤去工事に備え、内装が撤去されていた。また、1121の前面幕・運番幕も撤去されていた。
2005年4月
さらに数日後、車内が白いシートに覆われていた。アスベスト撤去工事が行われていたと思われる。1121の前面車番プレートも撤去されていた。
2005年5月
5月、ついに大きな動きが。編成が3両×3と1両に分割され、場所を移されていた。解体線には、写真左から1127〜1129と1120が入線した。撤去された旧型の紫色モケットの座席がそばに積まれていた。
2005年5月
右上の写真の裏から、解体線に留置されている1120。前面幕は撤去されていたが、運番幕は残置されていた。
2005年5月
上の写真の裏から、解体線に留置されている1127〜1129。ジャンパやホース、連結器などは切断されていた。
2005年5月
ピット前の留置線には写真左手前から1124〜1126、右手前から1121〜1123が留置されていた。
2005年5月
左の写真の裏からの様子。写真左手前から1123〜1121、右手前から1126〜1124。
2005年5月
ピット前の留置線にて、写真左手前から1124〜1126、右手前から奥に1121〜1123。12Fはすでに1126を除いてアスベスト撤去工事が完了。順次解体されるのを待つのみといった様子だった。
2005年5月
当時現存の5000系にはない、懐かしいシルバーシートの表示。
2005年5月
アスベスト撤去工事を終えた1125の車内。化粧板、網棚、つり革、座席などが撤去されていたが、4次車の原形をとどめていたことがうかがえる。

おわりに
緑が丘車庫おなじみの顔であり、幻の1000形ともいわれた11F・12F。その廃車までの様子を、約8年間に渡る取材の総集編として記録しましたが如何でしたでしょうか。1000形11F・12Fの存在を、東葉線の歴史の1ページとして皆さまの心に残していただければ幸いです。最後までご閲覧頂きありがとうございました。

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